科学者は一番乗りを目指します。未知の元素の探求も同様です。セリウムは、第一発見者の名誉をめぐって、国家間で論争が生じた最初の元素でした。1803年、スウェーデンの科学者とドイツの科学者が独立に未知の酸化物を得ることに成功しました。分析に用いた鉱物が何であったかは、はっきりしません。ガドリンがイットリウムを発見した鉱物(ガドリン石)という説や、セリウムを主成分とする鉱物{セライト:Ce9(R,Ca)(Fe,Mg)[SiO3(OH)](OH)3 ; Rは希土類元素}という説のほか、バストネス石という説もあります。セライト説を紹介した書籍が多いようですが、ここでは、ベルセーリウスの回想録に基づく、バストネス石説を紹介します。国家の名誉のために、発見当時は真実を公表できなかったのではと、考えられるからです。回想録に真実があると思えるからです。
スウェーデンのベルセーリウスとヒシンイェルは、イットリウム(Y)を含有する新しい鉱物を見つけるために、スウェーデンのバストネス鉄鉱山で採れる重たい鉱物(バストネス石)を分析しました。そして、偶然、新元素を発見し、セリウムと命名しました。
同じ頃、ドイツのクラップロートも、バストネス鉄鉱山のバストネス石を分析しました。しかし、ベルセーリウス達とは目的が異なっており、未知の元素を発見することが目的でした。そして、新元素を発見し、terre
ochroite(黄色の土類の意)と呼んでいました。
バストネス石の研究を最初に行ったのはスウェーデンのシェーレで、セリウム発見の20年以上も前のことです。研究の目的はタングステン(W)の探索でした。その後、バストネス石は科学者達から忘れ去られ、ていました。そのバストネス石を分析する複数の科学者が同時期に現れ、それぞれ、未知の元素(セリウム)を発見したことが、論争のはじまりです。
現在では、両者とも、第一発見者として認知されています。しかし、皮肉なことですが、別の目的で分析を行ったベルセーリウスが提案した元素名(セリウム)が学会で採用され、当初から新元素を発見するために分析を行ったクラップロートの提案は却下されました。2人とも、多数の元素を発見し、純粋な元素の抽出に成功しています。なぜ、セリウムが採用されたのでしょうか。真相は分かりませんが、ベルセーリウスは、元素の種類を記号で表すこと(つまり、元素記号)の発案者であったため、権威が勝ったのかもしれません。それに、当時、小惑星セレスの発見は、科学会にとって、センセーショナルな出来事でした。セレスに因んだ名前が功を奏したのかもしれません。 |